MILES DAVIS_1940年代
黒人が生んだ音楽であるジャズはアメリカで発展し、ソフィスティケートなミュージックとして世界でその評価を受けるに至っているのだが、その創始者の多くはあらゆる意味でハングリーな環境に置かれていた。しかし、その反動が豊かなエネルギーを生み、息吹きとなって誕生したのがジャズ芸術であると言えるのではないだろうか。しかし、このページで紹介するマイルス・デイヴィスはその例に漏れた人物と言え、歯科医院を経営する大変裕福な環境の下に育った。筆者が彼の音楽から感じる突出性は、他のプレイヤーと比較してその部分が起因して生まれたものなのかも知れない。母親は正規の音楽教育を受けた教師であり、その影響からか幼少の頃から音に親しみ、10代の頃からトランペットを始めた。そしたハイスクールではバンドを結成して、セントルイスでは大人と肩を並べて活躍していた。当時のセントルイスはアフリカ系のブラックピープルが多く、ライブハウスで頻繁にセッションが行われており、その中での影響によって彼の才能は育まれたと考えられる。
18歳の時、とあるライブハウスにチャーリー・パーカーが来演し、共演を果たしたのが彼の人生の中で劇的な瞬間で有ったようだ。その後、音楽への情熱は急速に高まり、ニューヨークのジ
ュリアード音楽院に入学。1947年にはチャーリーやマックスローチの援助を得て、リーダーとなって数多くの演奏家を従えて活動を行った。1948年にはコンポーザーであるギル・エヴァンスと
出会い多大な影響を受け、誕生したアルバムが名盤「クールの誕生」である。


