1928~1930年

1928年、ビリーの実の母であるセイディは更正施設に預けられていた娘を取り戻し、ニューヨークへと移住することとなる。セイディは娘を売春宿に預けて仕事をするが、1929年には母親の売春容疑での逮捕と共にビリーまでもが拘置所に留置されたという記録が存在している。その後ビリーはいわゆる禁酒法(アメリカ合衆国憲法修正第18条であった飲料用アルコールの製造や販売等を禁止するアメリカ合衆国憲法の修正条項の一つを指す。)時代に非合法であるナイトクラブに出入りすることとなる。経済状態も極めて逼迫した状況の中、朝まで奏されるジャズ演奏の中で大量の酒を浴びるように飲み、持ち前のボイスでジャズ・ボーカルを唱歌するサウンドは当時のクラブの客を魅了していたようだ。その後もいろいろなハウスで歌うようになったホリデイであるが、それに伴い著名な奏者との出会いも多くなる。そして、その中の一人であるサックス奏者「ケニス・ホーロン」にその歌唱力を認められ、同士の紹介によって正式なヴォーカリストとしての契約を手に入れることとなった。この時点で名づけられた彼女の芸名が、不動のジャズシンガー「ビリーホリデイ」であり、現在でも語り継がれている不世出ヴォーカリスト命名の瞬間である。

